1 「しもべとしてのイエス」という観点から記されたマルコ福音書の中心聖句は10:45
です。この言葉からイエスがこの世に来られた目的を二つ見つけることができます。
2 第一に、イエスは「仕えるために」来られました。それは昼夜の別なく病人や悪霊に
憑かれた人、教えを求める人の必要に応え続けた主の姿に明らかです。権力志向で人
の上に立つことを求めた弟子たちに、主は全く方向性の違う仕える生き方の尊さを教
えました。神の国は愛の原理が支配する場所だからです。対人関係の中で仕える生き
方を忘れ、自分が上に立つことばかり求めていませんか。あなたのためにしもべとな
って仕え、愛を注いでくれた主に倣って歩みませんか。
3 第二に、イエスは「命を与えるために」来られました。贖いの代価とは、一旦失われ
た自分のものを取り戻すために支払われる犠牲のことです。全ての人は創造主である
神の所有でしたが、罪の中で死んだ者となり、神から離れて生きる者となりました。
しかし、イエスが十字架で自らの命を代価として与えてくださったのです。このお方
を信じる者に命の恵みが与えられます。それは、①罪の赦しの恵みです。再び父なる
神と共に生きる者とされます。②心と肉体の癒しの恵みです。あなたの持つ不当な扱
いへの怒り、拒絶の痛み、裏切りの寂しさ、喪失の悲しみが同様に十字架でそれを味
わい、しかし死を破って甦られた主によって癒されます。豊かな命を与えてくださっ
た十字架の主に感謝し、御足の跡をたどりつつ、歩みましょう。