1 エルサレムへ向かう道すがら、イエスは一本のいちじくの木をご覧になりました。そ
れは季節外れに葉を茂らせていたものの、実を結んでいませんでした。主に呪われた
その木は、翌日には根から枯れてしまいました。このいちじくは、過越祭のために集
まりながら、神への敬虔な信仰の実りがなかったイスラエルの民を象徴しています。
イエスは形だけ、言葉だけで命のない信仰を拒まれるのです。形だけの虚しい信仰者
になっていないか、自分自身を省みましょう。
2 神殿に入ったイエスは、そこで商売をしていた人々を追い出しました。両替は神殿で
ささげるお金に換えるため、鳩は神殿でささげる犠牲に用いるために始まったことで
したが、利得の手段にすり替わっていたのです。主が彼らを「強盗」と呼んだのは、
商売をすることでそこで礼拝をささげたい異邦人から機会を奪い、また真実な礼拝者
を待ち望む神から祈りと礼拝を奪っていたからです。
3 エルサレム神殿は既に存在していませんが、聖書は主イエスを信じる一人一人の信仰
者こそが、御霊を宿す「聖霊の宮」だと教えています。今、「聖霊の宮」であるあなた
の心をイエスがご覧になったなら、どんな思いを持たれるでしょうか。本来祈りや礼
拝が占めているべき所に、別のもの(自分中心・人への無関心・身勝手等)が入り込
んでいませんか。主を喜ばせる信仰の実り、聖霊の実りは豊かに結ばれているでしょ
うか。あなたの心の宮清めをし、「祈りの家」へと変えてくださる主に期待をいたし
ましょう。