1 イエスを十字架に付けたのは、第一に祭司長達の「偽り」です。自分達の裁判でイエ
スを「冒涜罪」で訴えたのに、ピラトの裁判では「騒乱罪」を主張しました。自分達
の手を汚さず、責任を負わず、ローマによって主を葬ろうとしたのです。それは外側
の体裁を整えつつも内には汚れの満ちる「偽善」の姿でした。神の前で仮面を被った
ような生き方をしていませんか。偽善を捨て、正直な心で従いましょう。
2 イエスを十字架に付けたのは、第二にピラトの「妥協」です。第三者として裁く中で
イエスの無実を悟ったピラトでしたが、群衆の声に押され保身の思いに傾いた結果、
その主張を貫く事ができませんでした。真実な神のみ言葉を通して正しいことが何か
を知りつつ、世に妥協したり、自己中心な思いに流されて従わおうとしないならば、
それは大きな罪となります。ごまかしや妥協を捨てて、真の神に真実に従う生き方を
選んでいきませんか。
3 イエスを十字架に付けたのは、第三に群衆の「拒絶」です。一週間前に「ホサナ、ホ
サナ」と主を喜び迎えた人々が、手のひらを返して「十字架に付けろ」と叫んだので
す。でもそれは単なる群衆心理ではなく、ピラトの問いかけを聞きつつも自らイエス
を拒んだ、罪の姿そのものでした。あなたは十字架の主をいつも前に置き、主と共に
行く歩みを選んでいますか。信じつつも主を否んだり、拒んだりする生活の場面があ
りはしないでしょうか。悔い改めて、罪深い者のためにその命をささげた十字架の主
を仰ぎ、新しい歩みを始めましょう。