1 神の再三の励ましに、モーセはついに重い腰を上げました。出発に際し、なお不安の種が
ありましたが、舅イテロも快く送り出してくれ、また命を狙う者は死んだと知らされ、心
の不安は取り払われていったのです。神が共にあるなら、あなた自身がどんなに弱くても
力や自信がなくても大丈夫です。神とそのみ言葉に信頼し、祈りつつ踏み出すなら、神は
必ずご自身を現し、あなたを縛る不安から解き放ってくれます。
2 エジプトに向けて出発したモーセを、不可解な出来事が襲います。神が、突然彼の命を奪
おうとなさったのです。妻チッポラが息子に割礼を施した時に怒りが止んだ事実に、その
理由を見いだすことができます。それは、モーセの不従順という罪でした。イスラエル民
族と神の契約のしるしである割礼を、なおざりにしていたのです。神への不従順、み言葉
への不徹底は、どんなに小さなものでも取り除かれねばなりません。小さな罪が残される
時、全体の腐敗につながる(伝10:1)からです。日々の悔い改めを、なおざりにしていま
せんか。小さな神への不信、悪習慣や他人への悪しき思い、み言葉への不従順等があるな
ら、先延ばしせずにキリストの十字架の御許に行き、罪赦され、新しくされましょう。
3 荒野で、モーセは兄アロンと40年ぶりの再会を果たします。そして彼の助けを得て、民を
導く大きな使命に用いられていくのです。教会が主のビジョンに生きていこうとする時、
一人の傑出した人がいれば、事は成るというわけではありません。モーセのような優れた
器であっても、アロンやチッポラのような助け手が必要でした。教会は、救われた罪人の
集まりです。でもその欠けを持つ者同士が、主にあって一致し、互いに助け合い、支え合
って生きる時、主はそこに大きな花を咲かせてくださるのです。