主イエスの十字架前の最後の裁判は、ローマから派遣された総督ピラトの前で行われました。ピラトはイエスを指して「この人を見よ!」と告げましたが、主の姿はそれぞれの目にどのように映っていたのでしょうか。
1 まず、ピラトの示した「この人」です。
①鞭打たれた罪人の姿→鞭打ちに使用する鞭は金属や骨片付きの非常な痛みを与えるもの
でした。イエスの内に罪を見いだせなかったピラトは、「十字架に付けろ!」と求める
群衆の声を鞭打つことで治めようとしましたが、それは逆効果で、最後には正しさに目
を瞑ってしまいました。
②茨の冠と紫衣の姿→兵士たちはイエスを嘲り、偽物の王の姿にしました。王のパロディ
は、侮辱と悪意の表れでした。
次に、祭司長たちの示した「この人」です。
①冒涜者の姿→彼らは、自らを神と等しくするイエスを決して赦せないと考えました。
②反逆者の姿→主を陥れるために、自分の心を欺いてローマへの反逆者だと訴えました。
③憎い人の姿→結局、彼らの動機はイエスへの憎しみ、妬みでした。イエスの存在は自分
たちの利権を脅かし、権威を失墜させると考えたのです。
2 正しさに目を塞ぐピラト、弱者をいたぶる兵士、イエスをなじる群衆、感情的報復のため
にイエスを陥れようとする祭司たち、これは人間の持つ悪魔性の表れであり、他ならぬあ
なたの内にもあるものではないでしょうか。主の十字架は、自分の内にある罪性のゆえと
受け止めていますか。
3 十字架の主を信じるあなたは、イエスをどのように見るべきでしょうか。
①忍耐のお方→十字架を忍ぶ主の姿は、全信仰者の模範です。
②意思のお方→御心に従い通そうとする、主のへりくだりを求めるべきです。
③愛のお方→全人類の罪を負われた十字架に、あなたへの尽きぬ愛が現れています。
十字架の主イエスこそ、あなたの信仰の創始者であり、完成者です(ヘブル12:2)。今日から始まる受難週、一層の感謝の思いをもって「この人」を仰ぎ見つつ、歩みましょう。