あなたは、普段どんな言葉を語っているでしょうか。イエスは「心に満ちていることを口が話すのです。(マタイ12:34)」と仰いました。三浦綾子さんも、その著書の中で「言葉について考えることは、自分の人格について考えることなのです。」と述べています。
1 第九戒は、直接的には「偽りの証言」を禁じています。当時の法廷では証人の証言のみで判
決が左右されたからです。しかしこのみ言葉は偽証ということに止まらず、人の言葉によ
る罪を戒めるものです。嘘、悪口、陰口、脅迫、誹謗中傷、秘密漏洩等、これらは全て言
葉による罪です。その罪の根本は、他者を自分より低くしたいという自己中心性であり、
その結果として、共同体における信頼の喪失を招きます。第九戒は人と人との間のコミュ
ニケーションに不可欠な、言葉の「信頼」を守っている戒めなのです。
2 第九戒に法廷用語が用いられていることは、人の使う言葉の重さを示しています。あなた
の言葉は、一旦口に上れば後は雲散霧消するものではなく、生ける神の御前に覚えられて
いるものです(マタイ12:36~37)。自分の言葉の重さ、伴う責任を忘れてはいませんか。
3 しかし、だからこそ神は消極的に口を閉ざす生き方ではなく、より積極的に言葉を用いる
生き方へあなたを導いておられるのです(エペソ4:25、29)。それは「人の徳を養う」、即ち
隣人を非難して倒す言葉でなく、建て上げて生かす言葉を用いることへの誘いです。言葉
が変えられるためには、心の内が変えられることが不可欠です。偽証する者の罪のために
十字架に釘付けられた主イエスを信じ、その赦しの恵みをいただきましょう。そして、主
の言葉をなおもわが内に満たし、互いを生かす言葉を語る者へと日々造り変えていただき
ましょう。