ハレルヤ!私たちの神は、昨日も今日もとこしえに変わらない全能の神であることを感謝します。今から39年前、人生に絶望していた私でしたが、大塚学先生の牧会されていた郡山キリスト教会で救われました。神様に背を向けていた者を見捨てず、18年間の鬱病も癒してくださいました。
憐れみ深い神様に愛されている私たちは、いつも応答して行くべきですが、この応答とは、本来、声をかけた相手に対し、自分のしたいようにではなく、相手の側に立って答えるという意味があります。私たちは、日々神様の願いに応えて歩んでいるでしょうか。
モーセは40年間の荒野での生活をしていましたが、神様は彼を忘れてはおられず、モーセに声をかけてくださいました。なんと、エジプトに帰り同胞を救うという大仕事を任じられたのです。80歳になり、自分の弱さや足りなさを言い訳として断ろうとするモーセに、神は「わたしはあなたと共にいる。」と、語られました。握っていた杖は、彼の身体を支えている物でした。しかし、その杖を通して奇跡を見せられました。今日、私たちも握っている物を頼りとせず、神のみ言葉に信頼しきって、その杖を手放し、みことばの力を体験して、多くの同胞を救うために立ち上がろうではありませんか。
モーセの杖は、獣を追い払い、羊に方向を示し、歩行を助けると共に、主権を表すものでした。神は弱い私たちにも、弱いからこそ共にいると言われます。また、共に歩むからこそ、神の奇跡を体験し、王として全てを治められ、勝利を勝ち取ることができます。この神に、私たちは「主よ。ここにおります。私も、あなたと共にいます。」と、応答していこうではありませんか。