1 32章は、前回開いた24章の最後とつながっています。神との契約締結、会食の後、モーセ
はヨシュアを従えてシナイ山に登りました。滞在期間は40日にも及び、全てを担っていた
リーダーであるモーセ不在の不安が民を覆いました。アロンの元にやって来た彼らの言葉
(32:1)から、民の抱えていた問題が見えてきます。第一の問題は、彼らが今までモーセ
に導かれてきたと考えていたことです。出エジプトの奇跡は、神の力なしにあり得ないこ
とでした。しかし目に見えるリーダーのモーセにのみ頼り、目に見えない神を意識できな
い状態だったのです。
2 第二の問題は、彼らが自分たちを導く神を造るよう求めたことです。モーセがいなくなっ
たので、次のリーダーに頼ろうと彼らは思いませんでした。モーセの圧倒的カリスマ性に
比べれば、どんなリーダー候補も頼りなく見えたのかもしれません。そこで彼らは目に見
える神、偶像を求めたのです。結局彼らの問題は、自分たちの思い通りになるリーダー、
そして神を求めていたことにありました。主はよき指導者、導き手を与えてくださいます
が、大切なのはその人を通して語りかけ、救いを与えてくださる目に見えない神との交わ
りをしっかりと保つことなのです。
3 民の要求を突きつけられたアロンはその声に屈し、金の子牛像を造りました。民は、その
子牛を「私たちの神だ」と崇めます。翌日、「主の祭り」と称して行なわれたのは、金の
子牛像の前で欲望を解放して放縦にふける偶像礼拝でした。民は早くも、十戒の第一戒と
第二戒を破ってしまったのです。この出来事が引用されるⅠコリント10:7〜13を見れば、
偶像礼拝の過ちは試練の中で起きるとわかります。新約時代の神の民も、信仰の試練を通
ります。その時、共におられる生ける神に目が開かれてこそ、信仰の忍耐の力が与えられ
ます。「主よ、まだですか」「主よ、いつまでですか」と嘆きたくなる信仰の試練を通っ
ていますか。あなたに必ず脱出の道を備えておられる、まことの神に信頼し、信仰の忍耐
をもって主を待ち望みましょう。