イエス様に変えられた家庭生活

主人と結婚して一年が経った頃、急に実家の母が亡くなり、誰が父親の世話をするかという話が持ち上がりました。長女の私は自分がしないといけないと思っていましたが、主人に相談しても良い返事をもらえませんでした。二年後、子どもができない私は主人の兄弟たちから「離婚したらどうだ」と責められました。「なんで私だけが全部悪いの!」と怒りがこみあげ、これまでの主人に対する不満が一気に爆発してしまいました。結局、ひとり残され、悲しみの中にいる父親にこれ以上つらい思いはさせたくないと考え、離婚という形はとりませんでした。しかし、結婚生活が苦しくて、こんな状態から抜け出したいという気持ちでずっと生活していたのです。

 

そんなとき、隣に住んでいたクリスチャンの方に私の悩みや苦しみを聞いてもらい、初めて聖書の中に書かれているイエス様のことをお聞きしました。「イエス様を信じるなら本当の幸せが得られ、今の問題に対する本当の解決も与えられますよ」と話されたのです。でも、今まで宗教にふれたことも信じたこともない私には、キリスト教のこともピンとこず、半信半疑でした。後からわかったことですが、この方はご自身が結婚する1年ほど前から「隣に住む人として、イエス様を信じる方を準備していてください」と祈っておられたそうです。

 

程なく、今の状態が少しでも良くなるならとの思いから、その方と一緒に聖書を読むようになり、また教会の礼拝にも出席するようになりました。初めはわからない言葉ばかりでチンプンカンプンでしたが、読み進める内に私の心の傷をいやし、私自身の心を改めて見つめなおさせてくれる数々のことばに出会いました。特に「あなたがたの思い煩いをいっさい神に委ねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。(第一ペテロの手紙5章7節)」と、「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。(イザヤ書43章4節)」という聖書のことばが心に留まりました。

 

そして、主人を憎んだり、主人の兄弟たちを恨んだりするこの気持ちこそが、聖書がいう罪なんだと気づき、私の罪のために十字架で死んでくださったイエス様を信じることができるようになり、洗礼を受けました。後に主人も教会に導かれ、イエス様を信じて洗礼を受け、二人揃ってクリスチャンとなりました。夫婦で新しいスタートを切るにあたって、改めて結婚生活をやり直したく思い、再婚式を執り行っていただき、新しい指輪も交換しました。自分の欠点は横において主人だけが絶対に悪いと思ってきた私でしたが、聖書の光に心を照らしていただくとき、私の方こそ悪かったんだと思えるようになり本当に感謝しています。

 

また、なかなか赤ちゃんが与えられなかったとき、「わたしは産ませる者なのに、胎を閉ざすだろうか。(イザヤ書66章9節)」という聖書のことばが与えられ、忍耐して待つことができました。たくさんの人に祈られ、結婚7年目に待望の赤ちゃんが与えられ、本当にうれしかったです。その息子も今は牧師となり、生涯の伴侶を得て幸せに暮らしています。

 

もし、あのとき離婚していたらこのような幸せを味わうこともなく、暗い希望のない日々を送っていたと思います。私の恥をぬぐってくださり、幸せな家庭に変えてくださったイエス様に本当に感謝しています。

イエスさまに出会ったのは

   イエスさまに出会ったのは昨日のように思いますのに、時の移ろいは早いものです。

   

   60数年前、学校の帰路、たくさんの友と一緒に教会に導かれました。塩屋の神学校の澤村五郎校長先生から、ヨナタンとダビデの友情を楽しく聞かせていただきました。「人その友のために命を捨つる。これより大いなる愛はなし。」の聖句が語られ、「あなたの真実の友は、イエス・キリストですよ。命がけで愛してくださったのですよ。」と聞き、幼い日、日曜学校で繰り返し繰り返し聞いた、キリストの十字架と復活は私のためだったのだとわかりました。真実な友、イエス・キリストを心にお迎えし、喜びでいっぱいになりました。

 

   私がイエスさまから離れることがあっても、変わらない愛と真実をもって、今日まで導いてくださいました。今は、老いて病む身となりましたが、「御手の中で全ては変わる、感謝に。わが行く道を導きたまえ。あなたの御手の中で。」と感謝しつつ、日々を過ごしています。

病いと絶望からの救い

「苦しみにあったことは、私にとって幸せでした。私はそれであなたのおきてを学びました。」         詩篇119篇71節

 

 高校を卒業して社会人になった時、大きな希望を持って職に就きました。「土木屋として、エンジニアとして、頑張るんだ。この世の中では、身体が丈夫で若さがあれば、何でもできる。男の人生は仕事に賭けるのだ。」とカッコいいことを言っていた私。他の人が病気になっても、自分だけは絶対に大丈夫と高ぶっていた私。しかし、昭和46年、24歳という若さで結核という診断をくだされた時のあのショック。何も悪いことはしていないのに、なぜ私だけがこのような病気にならねばならないのだろうか。神というものがあるなら、どうして私をこんなひどい目に遭わせるのだろうか。神というものは、自分に都合の良いようにしてくれるのが神ではないのか。この世の中のものは、すべて自分を中心に動いているかのように思い込んでいました。この世にある神というものを恨みました。

 

 そんな自分の気持ちとは反対に、玉津療養所へ強制入院となりました。入院生活の毎日が焦りへと変わっていきました。24歳という若さ、人生これからという時にこんなことになってしまって、仲間から一歩も二歩も遅れをとってしまうではないか。療養所の裏山でバカヤロー!と大声で怒鳴ると、帰って来るやまびこもやはりバカヤロー。自分で自分が情けない思いでした。夜9時の消灯と同時に襲ってくるなんともいえない寂しさ。昼間は同室の人たちとアホなことを言って笑っている顔が、夜になると一人寂しく考え込んでしまうのです。人生について悩み、いろいろな本を読みましたが、解決は得られません。そんな時、一人のクリスチャンから聖書を読むように勧められました。なるほどと思えるけど、おとぎ話のようなことが書いてあるから信じられない、と反発もしました。病気になる2年ほど前から「心のともしび」というラジオ放送も時々聞いていたし、またいろいろな人生の書にも聖書から引用したものが多くあったので、少しは読みたいような気もあったのですが、信じることはできないと頭から否定していました。上辺だけを見ていたのです。

 

 そんなある日、療養所内で開かれている神愛会という週一度の集会に誘われて、初めて聞いた聖書のお話は「迷える小羊」と題した99匹と1匹の小羊の物語。そこで神の愛というものに触れました。迷いでた1匹の小羊は私のように思えました。人生の目的を見失ってしまった私をも、神は愛してくださっている。神の愛にふれた私の心は、幼子のように素直にさせられました。後ろの方の席で聞いていましたが、その雰囲気の明るいのに驚きました。キリスト教というものは堅苦しいものだと、頭から思っていたのです。そして2回、3回と出席する内に、日常の生活にあっても、今までの本と違って聖書を読むようになっていきました。また、早天祈祷にも誘われ、「私のかたくなな心の扉をあけてください。」と、わからぬままに祈るようになりました。そんな早天祈祷が続いて、11月27日岩内ハナ先生と1対1でお話する機会を与えられ、その時、素直に神の前に「私の罪を赦してください。」と涙して祈ることができました。

 

 神は、私の罪のために、私の身代わりとしてイエス様を十字架につけられました。そして主イエスは三日目によみがえられ、今も生きて働いておられます。その生ける神イエス様が、私の過去の罪を示し、悔い改めさせてくださいました。そして、間違った人生から、正しい人生へと変えてくださいました。「神は、実にそのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは、御子を信じる者がひとりとして滅びることなく、永遠の命を持つためである。」(ヨハネ3章16節)涙して悔い改め、罪から解放された時の、あの心の軽さ、あの青空、心の中まで青空のようでした。今も忘れることができません。今まで自分中心、仕事中心だった人生観が、神様中心に変えられ、全く新しい人生へと変えられました。それからも療養生活は毎日が楽しく、レントゲン写真の結果も撮影ごとによくなっていくのがハッキリわかりました。療養生活がなかったら、おそらく神を信じず、罪の奴隷として迷い続けたままであったでしょう、しかし、今は罪赦され、病い癒され、「アバ父よ。」といつでも祈れる幸いをおぼえると同時に、玉津に入院してよかったと声を大にして言うことができます。あれから40数年、神に守られ、幸いな人生を歩み続けています。主に感謝します。ハレルヤ!

イエスさまはすばらしい

 私が初めて教会に行ったのは中学2年の時でした。その時に初めて神様のことを知りました。しかし、信じることができないまま教会から離れてしまいました。

 

 2度目に教会に行ったのは、妻と結婚する前にでしたが、26歳の時に妻に導かれてこの明石教会にきました。しばらくは通っていたのですが周りの反対が起こり行かなくなりました。そのような中、毎日生活する中で悩みがあり行き詰まりを覚え教会に行きたいと思うようになりました。そして2001年の5月頃から再び明石教会に通うようになりました。そして7月にろう者の特別伝道集会があり、岡山教会の内川先生のメッセージを聞きました。イエス・キリストが私の罪のために十字架にかかってくださり、死んで3日目によみがえってくださったことを聞き、イエス様を救い主として信じました。私はこの後の9月に洗礼を受けたかったのですが、周りの反対もあり受けることができませんでした。洗礼を受けれるように祈りつづけ、又、ろう者の兄姉が家族や周りの人に説得をしてくれ、少しずつ理解をしてくれましたがなかなか賛成してくれませんでした。

 

 そして2002年の6月23日にろう者の特別伝道集会で米川先生が来られ、もう一度イエス様の十字架の血潮のすばらしさを知りました。そして個人的に米川先生に相談し、家族や周りの人からの反対に対してどうすればよいかを聞きました。米川先生は「あなたは天国と地獄どちらに行きたいですか」と私に質問をし、私ははっきりと天国へ行きたいという気持ちになりました。そして米川先生に「信仰を持って家族や周りの家族に話しなさい。信仰を持って洗礼を受ければ家族も周りの人も変わります」と言われ、私はとても強められました。そして7月6日と洗礼式の前日でしたが、実母と妻の理解を得ることができ無事に洗礼を受けることができました。キリスト教に以前から反対していた母でしたが、山脇先生が説明して下さり、洗礼を受けることを認めてくれました。私はとてもうれしかったです。母は笑顔で私を見送ってくれ、その姿を見て母もイエス様を信じて救われ、天国へ行ってほしいと思いました。これからは、母、妻、そして子供たちが救われるように祈っていきたいです。本当にイエス様はすばらしい方です。心から感謝します。

 

キレる私を救ってくれたイエス様

 私は入信するまでは、神様への祈りは腹痛の時にトイレで「神様、仏様、お釈迦様、もう嘘は言いませんから治して下さい。」と、誰にお祈りしているのか解らないようなお祈りでした。キリスト教についても聖書の押し売り、右の頬を打たれ左を出す、日曜日に教会に行き牧師の話を聞くという奇怪な人の集まりだと思っていました。

 

 そして、妻と結婚して日曜日ヒマだったので付き合いで教会に行き、何回目かの時にミッションバラバの吉田氏の話を聞き、感激しキリスト教へのイメージも変わり、牧師先生の話もためになり、『この世は力なり』という自分の考えが恥ずかしくさえ思えてきました。こんな私のためにイエス様が死んでくださったと信じ救われ、洗礼を受ける少し前からお祈りするようになり、怒りやキレることがへり冷静に物事を考えるようになりました。これからは祈りを忘れずイエス様を信じて、私とまわりの人々が喜びに満ちた日々を送れるようにしていきたいと思います。

 

 

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私たちは、聖書信仰に立ち、聖霊の恵みを大切にする、日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団に所属しています。

第二礼拝では、内川主任牧師より聖書のメッセージが語られています。