1 シンの荒野を出た後、イスラエルの民が辿り着いたのは、シナイ山北部のレフィディムで
した。しかし民の期待した水を見つけることはできず、その不平不満はモーセを石で撃ち
殺そうとするほど大きなものとなり、モーセは「神を試みてはならない」と民を諫めねば
なりませんでした。不信仰のゆえに神を試みるとは、主なる神の臨在を疑ってその御力を
信頼しないことであって、大きな罪だからです。民に不足していたのは水ではなく、信仰
でした。あなたは今、現状への不平不満、未来への不安を爆発させて、神が今もあなたと
共におられるという最も大きな恵みを見失ってはいませんか。偉大な神を信じ、神への信
頼を表明しましょう。
2 自分に迫る民を前にして叫ぶモーセに神は応えて、ホレブの岩をモーセの杖で打つことを
命じました。出エジプトを導いたその杖こそ、主が彼らと共におられる信仰のしるしでし
た。自らの渇きすらいやせぬ状況の中で、ただ共におられる神に信頼し、その御力を待ち
望んで彼が岩を打った時、民を潤す水が岩からほとばしり出たのです。たとえどんな状況
下に置かれても、神に信頼する者は祈る者となるのです。共におられる神に期待し、信頼
し、委ねて祈る時、その祈りの中から主の御業を仰ぎ見る不思議が生まれてきます。どん
な時も共におられる神に信頼し、御業を仰ぎ見る人になりませんか。
3 Ⅰコリント10:1~4でパウロはこの時の出来事を引き、「その岩とはキリストです」と述べ
ています。あなたのため、全ての人のため、十字架で砕かれ、永遠の命を与えてくださる
イエス・キリストこそ、まことの救いの岩です。モーセがその場所をマサ(試み)・メリ
バ(争い)と名付けたように、生活の中に不信仰のゆえに神を試みる場所や互いに責め争
う場所が生まれることがあるでしょう。しかし、そこに「キリストという岩」はいつもあ
るのです。あなたが信仰の杖を握ってこの岩に求めていくならば、必ず命の水に潤されま
す。キリストを求めましょう。