1 いちじくは、古くからイスラエルで親しまれてきた植物です。このたとえ話では、いちじ
くがぶどう園に植えられています。それはぶどうの枝を絡ませる立ち木として用いるため
であり、更に実りにも期待する一石二鳥の考えがあったからです。
2 ところが、主人の期待に反して、いちじくの木は三年も実をならせることがありませんで
した。堪忍袋の尾が切れた主人は、番人に役立たずの木を切り倒せと命じるのです。役に
立たないモノは捨てるのが常識ですから、主人の怒りは当然のことです。この主人とは、
神です。神はご自身が創造した世界に特別な期待をもって人間を置きますが、その期待は
ことごとく裏切られました。神の罪に対する怒りと裁きは、不当なことではありません。
大切なのはむしろ、人が本来自分は切り倒されてもおかしくない存在と知ることです。
3 主人の怒りに待ったをかけたのは、番人の必死の嘆願でした。ダメないちじくをかばうこ
の番人とは、主イエスです。彼こそ、罪人のあなたが切り倒されないようとりなしてくだ
さる、まことの救い主です。十字架であなたの罪のために全てを差し出した主は、今日も
あなたに常識はずれの愛を注ぎ、神の御前でとりなし続けておられます。自分は欠けてい
る、足りない、成長できない、失格だと思っていますか。主の恵みは今日も取り去られる
ことなく、あなたの前にあります。この恵みの中に飛び込み、新しくされましょう。