1 イエスがエルサレムの神殿に入ると、律法学者たちが姦淫の現場を取り押さえられた女性
を連れてきました。女性の処分を問うた彼らの目的は主の言葉尻をとらえて批難すること
にあり、女性はそのための道具でした。他者への憎しみに囚われると、大事なものが見え
なくなります。心に誰かへの憎しみの思いがくすぶっていませんか。
2 罪の行いが白日の下に晒された女性は、どんなに恥ずかしい思いをしていたことでしょう
か。悪いと知りつつ行なっている罪の行為がある限り、露見を恐れて人は平安に生きるこ
とはできません。また、たとえ人の目に隠れていても、神の目には人の一挙手一投足が常
に明らかです。だからこそ、聖書は神を畏れて生きることこそ、知恵ある生き方だと告げ
ています。あなたには隠れた罪がありませんか。
3 イエスは、彼女にどう接したでしょうか。①黙っていた⇒本当の愛は相手の失敗を槍玉に
挙げ、その傷口を広めるようなことはしません。主の沈黙は、彼女を愛で包もうとする沈
黙でした。②地面に書いていた⇒彼女の罪を記していたと言われますが、その場所はすぐ
に消し去ることのできる地面でした。主の愛は罪を赦し、消し、忘れる愛です。「罪のな
い者が彼女に石を投げよ」という言葉に心を刺された群衆が去った後、主は彼女に刑の執
行猶予を告げ、新しく生きるチャンスを与えました。救われたあなたの歩みには、いつも
主の期待が込められています。今からが大事なのです。感謝して、未来に向かって歩みま
しょう。