1 主イエスはヨハネ福音書の中でご自身について語る際に「エゴー・エイミ(わたしは…で
す)」という形を多用しました。ここでは「ぶどうの木」にご自身をたとえています。ぶ
どうはイスラエルにおいて昔からなじみがあり、生活に密着した植物なので聖書にも数多
く出てきます。時には、イスラエル民族そのものがぶどうにたとえられることもあります
が、残念ながらイスラエルは期待に反して酸っぱい実を結ぶどうの木でした。それは罪人
の姿そのものです。
2 聖書の「罪」とは「的外れ」の意味です。誰もが的に百発百中できない不完全さを持って
いるということです。「神のかたち」に似せて特別に造られた人間は、創造主の非常に大
きな期待を受けた存在でしたが、残念ながら与えられた自由意志を用いて罪を犯し、期待
を裏切る実を結ぶ者となりました。他者を憎んだり、貶めたりするよりも愛したい、大切
にしたいと願いつつも、その反対を生きてしまうことがありませんか。あなたの中に酸っ
ぱい実りがありますか。
3 変りたいと願うなら、主イエスのみことばを信じましょう。「まことのぶどうの木」であ
る主ご自身につながるなら、あなたも甘い実りを生み出す者と変えられます。十字架の血
潮によってきよめられ、新しくされ、みことばと御霊の導きと助けによって、日々に甘美
な実りを結ぶ者へと変化させられていくのです。過去の酸っぱい実りを見つめることをや
めて、心新たにまことのぶどうの木である主につながりましょう。