1 愛する息子をささげよ、という神のことばを青天の霹靂として聴いたアブラハムの驚きは
いかばかりだったでしょうか。しかし、それは神が与えられた試練だったのです。聖書は
神のなさることには必ず意味と目的があると教えています。試練を通して、神は信じる者
の信仰や品性を磨き、整えてくださるのです。
2 アブラハムにとっての究極の試練を終始支配しておられたのは、神ご自身でした。そして
信仰に立ち、翌朝イサクを連れて出発したアブラハムは、山上で「アドナイ・イルエ(主
の山の上には備えがある)」の恵みを体験したのです。あなたが信仰に立って神に従う道
の先には、必ず神の備えがあると信じていますか。試練の中にも神はおられるという事実
に望みを置き、前に向かって進みましょう。
3 アブラハムの試練と主イエスの十字架には、数多くの類似点があります。唯一の相違点は
イサクは救われ、主イエスは殺されたことです。アブラハムは神のためにひとり子をも惜
しまない信仰を示し、神はアブラハムの子らのためにひとり子をも惜しまない愛を示しま
した。そして、その信仰の結果、彼は「神の友」とまで呼ばれたのです。あなたは今、試
練の渦中にいますか。その試練は、あなた自身を磨き整えるために神が与えられたものと
受け止めてみませんか。そして、どんな試練にあっても神を信じて堪え忍び、その先に神
が備えたもう祝福を見据え、待ち望んでいこうではありませんか。