1 「愚かな金持ち」と呼ばれる、主イエスのたとえ話があります。裕福な地主であった金持
ちは、ある年、大豊作を経験します。有頂天になった彼は、倉を建て替えて溢れる収穫物
を納めようと画策します。将来の安泰が見えて安心し、宴会を催そうと考えた彼は、地上
的な視点で見れば、賢い経営者であり、勤勉な人生の成功者です。
2 なぜ、神は彼を「愚か」と呼ぶのでしょう。①命をいつまでも持ち続けられると考えた→
人の命は、誰のものでしょう。自分の人生と言いつつ、その初めと終わりは手中にないで
はありませんか。あなたの命は、神からの預かり物なのです。②蓄財が自分の魂に平安を
もたらすと考えた→聖書は、富=悪とは語っていません。しかし、人には目に見える富を
全能のものとし、富のために生きる過ちに陥りやすい弱さがあります。魂に真の平安を与
えるのは、神のみです。③自分のことしか考えなかった→彼が繰り返すのは「私の」とい
う言葉です。命の創り主である神との関係を築けない彼は、他者との関係も築けず、隣人
も神も眼中にない生き方しかできませんでした。
3 主イエスがこのたとえ話で問うているのは、「あなたの命は、何に根ざしていますか?」
ということです。裸で生まれ、裸で去るだけの私たちにとって、救い主イエス・キリスト
こそが唯一にして無限な、無尽蔵の富です。このキリストに富み、キリストに恵まれる人
生には、空しいということがありません。日々、己が人生を喜び、感謝しましょう。