1 このたとえ話には、祈るために神殿に行った二人の人物が登場します。最初は、パリサイ
人です。彼は週に二度の断食をし、十分の一のささげ物をしていた立派な人物です。しか
し、人の心の内を見る神の目には、彼の問題点が映っていました。彼の祈りは、①他人と
比較する祈りだった→彼の感謝は他人を一方的に見下し、優越感に浸ることから生まれて
いたのです。②自分だけを見つめる祈りだった→神という鏡の前に立っていない彼は、自
分ばかりを見つめていました。神の前に行きながら、その実、神の前に立っていない、そ
んな姿だったのです。
2 次に登場するのは、取税人です。同胞から売国奴扱いされ、実際に悪事を働くことも多か
った彼は、どんな祈りをしたのでしょうか。①真実な悲しみの祈りだった→遠く離れて立
つ、目を天に上げない、胸をたたくという姿に彼の悲しみが表わされています。真実に生
きたくても生きられない悲しみです。②罪人の認識がある祈りだった→自らの罪の重さを
知る彼は、主のあわれみにすがる他なかったのです。真実な神は、そのように心砕かれた
者を決して蔑まれません。
3 さまよい、失敗しがちの私たちの人生には、いつでも主なる神のあわれみが不可欠です。
今日も、取税人のように罪人のままで、しかし、真摯な思いで、生ける神の御前に進み出
ましょう。そして、そこで主の十字架の血潮によって罪赦され、義とされて、それぞれの
生活へと帰っていこうではありませんか。主のあわれみを受けましょう。