1 今日の箇所に記される二つの出来事に共通するのは、それが安息日に起きたということで
す。安息日の起源は、創世記にあります。安息日の目的は、人が仕事を始めとする日常か
ら離れて創造主なる神と交わり、霊的な安息を得ていくことにあります。週に一度、doing
(行動)を止めて、神の前にある自分のbeing(存在)、すなわち価値ある者として愛さ
れ、赦され、守られていることを知るならば、あなたの魂に大きな安らぎが来ます。安息
の主日を聖別しましょう。
2 パリサイ人は、安息日に麦の穂を摘んで食べるイエスの弟子を見て律法違反と責め立てま
した。イエスを攻撃したい一心で、生麦を食べるほど空腹だった弟子たちへの憐れみは皆
無だったのです。パリサイ人同様に自分の基準に人を当てはめようとしたり、利己的な動
機に走って相手の状況や心が見えなくなっていませんか。安息日の主は、この日をあわれ
みのわざのために用いることを教えています。
3 別の安息日。パリサイ人を初めとする敵意が満ちる中で、イエスは会堂にいた右手のなえ
た人を癒しました。これは安息日が積極的に善を行う日であると教える、主の模範です。
礼拝から遣わされた先で、あなたはどう生きていきますか。自分中心な行動でなく、他者
を活かし、赦し、助ける善き業をなせるよう、主に求めませんか。主のチャレンジに信仰
の応答をするなら、必ず主の大いなる御業が伴います。信じて、行動してみましょう。