明石聖会1それでもまずキリストにつながろう ヨハネの福音書15:1〜5 片平勝師

●序論

 最初に、簡単に引用するであろう御言葉の一つ

 エレミヤ29:11〜14「主は言われる、わたしがあなたがたに対していだいている計画はわた

 しが知っている。それは災を与えようというのではなく、平安を与えようとするものであ

 り、あなたがたに将来を与え、希望を与えようとするものである。その時、あなたがたはわ 

 たしに呼ばわり、来て、わたしに祈る。わたしはあなたがたの祈を聞く。あなたがたはわた

 しを尋ね求めて、わたしに会う。もしあなたがたが一心にわたしを尋ね求めるならば、わた

 しはあなたがたに会うと主は言われる。」

 アーメンです。ふりかえって「キリストにつながり続けて」きたからこそ、わかる言葉であ

 り、またこれから先にも目を向けて「アーメン」と言える言葉なのです。

 

●本論

Ⅰ.まずつながること

 キリストとわたしたちの「霊的なつながりの大切さについてです。ここで忘れてはならない

 のは、農夫に例えられている父なる神さまの存在です。農夫がなさることには理由があり、

 目的があるつまり「神さまの御心」がある。

 

 つながっているからこそ、わたしたちは木からのいのちの養分を受けて実を実らせる。

 そこでは、目をそむけたくなるような厳しいことも書いてあります。

 農夫なる父がとりのぞく枝があると。理由があります。実を結ばないからだと。

 

 「実を結ぶ」。聖書は神さまへの敬意とつながりの中で育てられる実を表現します。

 ガラテヤ書では、不品行や汚れ、敵意や争い・・・などと対比する形で表現します。

 「御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和、自制」であると(ガラテ

 ヤ5:22-23)。そしてこう記しています。

 :24-25 キリスト・イエスに属する(つながる)者は、自分の肉を、その情と欲と共に十字

 架につけてしまったのである。 もしわたしたちが御霊によって生きるのなら、また御霊によ

 って進もうではないか。

 

 2023年元やくざで今は救われ、変えられた牧師・伝道者となった方々の対談がYouTubeに

 あります。その中で言われていたことは印象的です。「元ヤクザのレッテルが一生ついて回

 る。だからこそ私たちは、自分たちの結ぶ実で証ししなければならない」と。

 

 そういう現実がある。つきまとう。だからこそ、まずつながることこそが大切だ。

 それは、「また御霊によって生きるなら、御霊によって進もう!」と言われる姿なのです。

 

Ⅱ.ただつながること

  15:2・・・実を結ぶものは、もっと豊かに実らせるために、手入れしてこれをきれいになさる

  のである。「手入れする」「刈り込みをする(新改訳)」とある。ここに農夫である神さ

  まの”目的”があります。それは「もっと豊かに実らせるために」です。

  これは、神さまがなさること。ただ枝からすれば、それが時に「痛い」「苦しい」と感じ

  ることがしばしばです。

 

 2017年、105歳で天に召されたクリスチャン医師の日野原重明先生の、おそらく最後の著書

 の中にこんな問いかけと答えが記されていました。

 問いかけはこうです。「奇跡の連続のような人生を送られている先生。奇跡というのは特別

 な人にしか起こらないものなのでしょうか?」

 それに対しての答えを抜粋します。「ではどういう人に奇跡が起こるかということです。その

 人をよく見ると、そこには「まことの信仰」があることに気づくのです。まことの信仰とは

 おのれの力ではどうにもならないことに立ち至り、これまで自分が握りしめていた自己の中

 心を明け渡し、手放すということです。そして大いなる力、神さまにすべてをゆだねきった

 経験をした人のことです。・・・僕が学んだ、人生に奇跡を起こす方法。それは「まことの信仰

 をもって奇跡を起こした人と一体化する(すなわちキリスト結ばれる)」ということです。  

 イエス・キリストのことばにはこうあります。「わたしを信じる者は、死んでも永遠に生き

 る」と。今、ただキリストにつながる中で、神さまが「手入れする」「刈り込みをする(新

 改訳)」という中で、わたしたちはキリストとの一体化を経験する者とされるのです。

 

Ⅲ.つながり続けること

 今日譬えでも記される、実を豊かに実らせるための「手入れ」にはしばしば時間が必要で

 す。「あんなにいい人が、なんであんな目に遭わなければならないのか?」と尋ねられるこ

 とがある。それは、病かも、人生の挫折かも、また事故、別離かもしれません。

 実は、イエスさまこそ、そのようにそんな目に遭うはずのない人であるべきでした。けれど

 も、イエスさまはその痛みと苦しみを、そして死をもあの十字架で受け取ってくださった。

 それは、御自身の苦しみと死を通して、救われる私たちを見ていてくださったからです。

 だからイエスさまは、麦の種を譬えにして、その意味についてこう語りました。

 「よくよくあなたがたに言っておく。一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒

 のままである。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる。」(ヨハネ12:24)

  

 ここにもしかしたら、今、長く試練の中に置かれている方、悩みの中にある方もおられるか

 もしれません。わたしは申し上げることができます。もしあなたがキリストにつながり続け

 ているのであれば。…その中で神さまの御言葉を聞き、またゆだねて歩むならば、神さまの

 実りの御業を経験することができると。

 そんな中でイエスさまはこう言われます。

15:3-4「 あなたがたは、わたしが語った言葉によって既にきよくされている。わたしに

 つながっていなさい。そうすれば、わたしはあなたがたとつながっていよう。」

 どういう意味か。それはきよめる、つまり純粋でシンプルであること、ただ一つ、つまりた 

 だイエスさまを信頼してゆだねる者として生きるチャレンジを受けているということです。

 それこそ、先ほどの日野原先生が言われていたことです。

 「これまで自分が握りしめていた自己中心を明け渡し、手放す…。そして大いなる力、神さ

 まにすべてをゆだねきる経験に入る」ことです。これを日野原先生は、人生に奇跡を起こす

 方法と語っている通りです。

   

おわりに)

 15:4 わたしにつながっていなさい。そうすれば、わたしはあなたがたとつながっていよ

 う。枝がぶどうの木につながっていなければ、自分だけでは実を結ぶことができないよう

 に、あなたがたもわたしにつながっていなければ実を結ぶことができない。

  15:5 わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。もし人がわたしにつながってお 

 り、またわたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる。わたし

 から離れては、あなたがたは何一つできないからである。

 同じ内容が繰り返して語られているように聞こえます。

 それはまさにイエスさまが、聞く者たちにとって重要していることであり、わたしたちの人

 生と将来、何よりも永遠を左右するものであるからです。

 つながっていれば、キリストに結ばれ共に歩むならば、豊かに実を結ぶ、そうでなければ

 実を結ばない。何一つできない・・・という風に。

 

 改めて「 15:4 わたしにつながっていなさい。そうすれば、わたしはあなたがたとつながっ

 ていよう。」と言われるイエスさまは、わたしたちを本物の命、永遠を見渡せる世界へと招

 き入れてくださっていることを知ります。

 

 今、世界の人々の視野は、争いや災害、不安と悩みの中で狭まっているような時代を生きて

 います。

 

 そういう中で、中でキリストにつながることで、すなわち私たちが「御霊に導かれて生きる

 こと」で、わたしたちは愛と赦しと永遠の視界を”証しする人”とされていくのです。

 

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